「星になった君へ」


あれから…
3度目の夏がやって来た。


あまりにも突然の別れだった。
夢なのか…
現実なのか…
心の整理もつかないままに、この記事を書いた。

リフター魂73 星になった君へ


彼と初めて会ったのは、2012年の岐阜国体。
その前から彼の名前は知っていた。
各試合の結果表に、いつもその名は上位に記載されていたから。

第一印象は、少年漫画から抜け出してきたような軽やかさ。
彼を護衛するかのように、大きな選手たちがその周りを取り囲んでいた。

小柄な彼のどこに、あんな重いバーベルを持ち挙げるパワーが潜んでいたのだろう。

時に日の丸を背負い、
時に母校の誉れのために、
また時に郷土愛に燃えて、
彼はバーベルを挙げた。

高校3冠。
大学時代は4年連続でインカレのプラットに立ち、2度チームを優勝へ導いた。
高校時代、大学時代、また社会人としても国体に出場し、故郷・沖縄の総合優勝に貢献してきた彼。

リフター魂41 チーム沖縄

過去に書いたもので、彼の名前が出てくるのはこの記事だけである。
それでも2年前、多くの人が彼の名前を辿ってこのブログを訪ねてきた。
あのとき訪問してくれた人たちは、ここに彼の面影を見出すことができたのだろうか。

その年の秋、チーム沖縄は国体4連覇を遂げた。
プラットホームを見つめ、「ここにいたのにな~」と、呟いた姉。
主語はなかったが、誰のことを言っているのかはすぐにわかった。
管理人も、同じことを考えていたから。

人間の事情などは構わずに、淡々と時は流れ、季節は巡る。

3度目の夏。
記憶の頁を開きながら目線を上げれば、沖縄の空にミルキーウェイ。
無数の星たちが寡黙に舞う。

2年経った今でも…
やはり… 「さよなら」は言わない。

管理人の人生の途上に軽やかに現れ、何も告げずに遥かな空へと駆け上って行った彼。


思いを共有させてくれて、ありがとう。
忘れないよ、君のこと…

―東門勇将くん―



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もう一度会いたかったな~
この笑顔に
(岐阜国体にて)

サッカー日本代表で言うなら、本田圭祐。
左大腿部側面の“ゼッケン4”が眩しかった。

日本で開催中の世界ジュニア選手権69キロ級で銀メダルを獲得した宮本昌典選手。
地元の期待を一身に背負い、“金”を目指してプラットホームに上がった彼。
スナッチでトップに立ったが、ジャークで逆転を許し、1キロ差で“銀”という結果だった。

ホームで世界大会を戦うことは、
喜び? それとも重圧?
あるいはその両方?

表彰台に立つ彼の頬に光っていたものは、
汗? それとも涙?
汗なら… すでに引いていた頃だろう。

とめどなく流れるその涙は、
嬉し涙? それとも悔し涙?

嬉し涙と悔し涙では、その味が違うという。
自律神経の影響で、悔し涙は塩分濃度が高まるために塩辛いようである。

拭っても拭っても頬を伝う涙。
その味は、海水のごとく塩辛かったことだろう。

駆け引きに敗れた?
それも含めてウエイトリフティングである。

かつてインターハイや高校選抜を観戦する機会が多かった頃、采配に苦慮する指導者たちの姿を目の当たりにした。

選手が強くなるにつれ、指導者は悩む。
記録に挑ませたい…
実績を積み上げてきた選手に敬意を払いつつも、勝負に負けては元も子もないと考える指導者たち。
そんな中で、どこに着地点を見出すか…
選手と指導者間の信頼関係の重要さを認識したものである。

と言っても、高校ウエイトは部活動である。
もっと上のステージになれば、様々な思いが重なり、複雑に絡み合うこともあるだろう。

今回の試合でどのように重量が決められていったのかはわからないが、作戦ミスを指摘しつつも三宅義行WL協会会長は、このように語ったと記事が伝えている。
「コーチ任せではなく、駆け引きも自分で勉強していかなければ…」

宮本選手が小学生だった頃から、彼を知る三宅氏。
その言葉には、20歳のホープの今後への期待が込められている。

もう少しで届きそうだった金メダル。
それを手にするために、あと何が必要だったのか。

心優しさはそのままに。
素直さもそのままに。
その“何か”を見つけてほしい。

オリンピックなどで、銀メダルの選手の表情が曇っている光景をしばしば見る。
そんな時、管理人の心は痛む。
メダルに対しても、頑張った自分に対しても、あまりに失礼ではないだろうか。

限られた人しか掴むことができない「世界の銀」に胸を張ってほしい。

次に彼が流す涙が、淡水のごとく薄味であることを願いつつ…


‥∵‥☆‥∵‥∵‥☆‥∵‥∵‥

<参照>

リフター魂87 宮本昌典選手(東京国際大学)

この記事を書いた約1ヶ月後の全日本ジュニアで、彼は日本記録を樹立した。

試合会場でそれを見届けた「ウエイトリフティング大好き人間」宮田氏が、ご自身のブログで紹介してくださっている。

日本新記録!クリーン&ジャーク177Kg!

添えられているコメントが興味深かったので、勝手ながらここに引用させていただく。

~これにより、宮本選手は中学、高校、ジュニア、大学、そして一般と、すべての年齢区分での記録保持者となる歴史的快挙です!(あとは15年後にマスターズ記録を樹立し、各々が更新されなければ完全無欠です(笑))~

マスターズ記録とは^^;

宮田さん…
あなたのイマジネーションは、ワタクシのそれをはるかに超えています(^_-)-☆


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宣言通り、この手で日本記録を掴んだ。
さあ、次はオリンピック!!

この人には、やはり世界の舞台がよく似合う。

石川県珠洲市にあるスズドリームクラブ(SDC)を指導する浅田久美先生。
元女子日本代表監督である。
昨年に続き、先日バンコクで開催された世界ユース選手権にコーチとして帯同した。

珠洲から世界へ。
そのビジョンを胸に、ご主人の浩伸氏と共にウエイトリフティング教室を立ち上げたのは5年前。

それから2年後の2014年の夏。
全国中学生選手権に、大勢の子供たちを引き連れてやって来た久美先生。
その人数に圧倒されている管理人に、「数で勝負!」と、いつものノリ。

「遊びたい盛りの子供たちを、どうやってウエイトに引き付けてるんですか?」と質問する管理人。
あまりにも真剣に尋ねたので久美先生は一瞬 口ごもったが、すぐにいつもの先生に戻り、「お菓子で釣る!!」と一言。

久美先生らしい解答だが、お菓子だけで厳しい練習に繋ぎ止めておくことなどできないということを、一番わかっているのも先生自身だろう。

今やSDCは数だけではなく、その実力も備わってきた。
日本を飛び出し、世界に進出する選手が育つまでにいたっている。

かつて南部工業高校の選手が、「僕たちが、屋良先生を世界へ連れて行く」と言っていたのを思い出した。
なんとも頼もしい教え子である。

長く珠洲に引きこもっていた(笑)久美先生を再び世界へ連れ出したのは、二人の女子選手である。
昨年の世界ユースに出場した中島一馨選手。
そして今年、中島選手に加えて山下笑佳選手が世界ユースのプラットに立った。
彼女たちや国内で活躍している他の選手たちが、さらに大きな世界の舞台へ恩師を誘うことを期待する。

幼かったSDCのメンバーたちも、時と共に成長した。
人生の節目を迎える中で、やがて石川県から巣立って行く選手も起こるかもしれない。
そのとき彼らは、新たな指導者の下でウエイトと向き合うこととなるだろう。

けれども彼らは忘れない。
初めてバーベルに触れたあの日…
誰がシャフトの握り方を教えてくれたかを。

愛された日々の記憶は、血液と共に彼らの全身を巡っている。
たとえ将来、故郷を離れる日が訪れたとしても、彼らは決して忘れない。
育ててくれた人の名を。

<参照>
リフター魂57 “元祖”美女リフター
リフター魂40 浅田浩伸選手


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よっちゃん&久美先生
管理人が最初に出会ったSDCのメンバー
(全国中学生選手権にて)

この大会で活躍した選手たちの記事
リフター魂65 全国中学生選手権2014①
リフター魂66 全国中学生選手権2014②

この大会結果により、長崎国体の女子イベント事業に中島選手と小林紗良花選手ら5人の中学生が出場している。
彼女たちは女子選手として、初めて国体のプラットに立った。
リフター魂67 女子中学生リフター
リフター魂68 長崎国体記念全国中学生選抜大会

金メダリストからのオファー。
迷いはなかった。
高校4冠を携えて、彼は2年前、東京国際大学の門をくぐった。

オリンピックのメダリストを育てたい。
2020年東京五輪開催決定を受け、東京国際大学に新設されたウエイトリフティング部の監督に就任した三宅義信氏。
そのビジョン実現のために白羽の矢が立てられたのが、当時高校2年生だった宮本昌典選手である。

レスリング選手だった父・裕二氏のDNAを受け継いだ… はずだった。
ところが、幼き日に始めたレスリングは連敗の日々。
彼の性格上、対戦相手に攻め入ることがどうしてもできなかった。
そんなわが子の姿に心を痛めた父は、彼をウエイトリフティング教室へ通わせることにした。
父のこの決断が、日本男子ウエイト界にニューヒーローを誕生させることとなった。

指導に当たったのは、沖縄工業高校の平良真理先生である。
オリンピアンの平良先生は、彼にとって憧れの存在。
小学6年生の小さな心は躍った。
平良先生の指導の下で成長していった彼は、中学記録、高校記録を次々と塗り替えて行く。

そして2015年の春、高校チャンピオンは、万全の受け入れ態勢で東京国際大学に迎え入れられた。

故郷を離れ、埼玉で暮らす日々。
環境の変化や指導方法の違いに戸惑うことは誰しも経験する。
彼も決して例外ではなかった。

伸び悩む彼の記録に、遠くから心配していたのは恩師・平良先生である。
半年後に帰郷した彼は、先生のもとを訪ねた。
するとたちまち元気を取り戻し、勢いに乗ったという。

沖縄で心配していたのは、平良先生だけではない。
記録よりも、その健康を心配していた人。
母・由美子さんである。
慣れ親しんだ母の手料理も、彼の復調を後押ししたことだろう。

彼に尋ねてみた。
「大学の食事とお母さんのお料理、どっちが美味しい?」
彼はにっこり微笑んで「種類が違いますから…」と。
話の流れの中でふと出た質問だが、我ながら愚問であったと省みた。

栄養士が、アスリートのためにデータをベースに作成したメニュー。
母が、息子のために愛情をベースに作った手料理。
確かに種類は違う。
比較できないのは当然である。

埼玉での大学生活も、まもなく2年が過ぎようとしている。

現在、69キロ級のスナッチとトータルでジュニア記録・大学記録を有する彼。
「残るジャークも揃えたいね」と言う管理人に、「はい」と答え、そして彼はこう続けた。
「日本記録もです」

日本記録!?
驚いて69キロ級ジャークの日本記録を確認した。
なるほど。
手が届かない重量ではない。

昨夏、Riocentro Pavilion(リオ五輪で重量挙げ競技が行われた場所)で、三宅宏実選手の銅メダル獲得の瞬間を目の当たりにした彼。
その見つめる先は、2020年東京五輪。
さらにはその4年後の大会である。

幼き頃、嫌々やっていたというレスリングの練習。
彼のフォームのしなやかさは、その練習で培われたものである。
人生において、無駄なことなど一つもない。

中学・高校時代、平良先生からそれぞれの種目をきっちりと指導された彼。
そして大学では、三宅敏博コーチの下でパワー系の練習に力を注いでいるという。

素直な彼は100パーセント受け止めて、それを力に変換する。
直き心の故に愛されて、彼は今日、20歳の誕生日を迎えた。

育んでくれた南の島。
レスリングで負け続けた日々、慰めてくれた青い海。
ウエイトで頂点に立った日、祝福してくれた優しい風。
「沖縄が恋しい」と彼は語る。

それでも彼はきっぱりと言った。
「オリンピックを目指すなら、(大学卒業後)沖縄へは帰れません」と。

ウエイト王国の小さなプリンス。
あどけなかった少年リフターは凄まじい勢いで成長を遂げ、いつしか巣立ちの時を迎えていた。

2年前の春、那覇空港を離陸した彼は、その翼に夢を乗せて、今も大空高く飛び続けている。


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リフター魂62 全日本選手権2014②
リフター魂86 東京国際大学ウエイトリフティング部


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リフターとしては、決して恵まれた手ではないようである。
それでも「(糸数)陽一さんの手に似てるんです」と言ったときの彼は、少し嬉しそうだった。
糸数先輩に続き、この手で日本記録&オリンピックを目指す。

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20歳のお誕生日おめでとう♪