2017/12/31

リフター魂94 逝く人を偲び、往く年を思う

岡本実氏へ、感謝を込めて…


無常の風は時を選ばす…
2017年11月19日21時7分、岡本実氏が旅立った。

日本ウエイトリフティング協会第9代専務理事。
1951年9月29日に生を受けられ、御年66歳のご生涯だった。

管理人は、岡本氏の“ジュリー”が非常に好きだった。
フットワークが良いと言うか…
試合中、しばしばジュリー席から立ち上がり、進行席の方へ歩み寄って行かれる。
試合よりも、その行動を目で追う方が楽しかったこともある。

2012年のインターハイ。
大会前半には試合会場にあった岡本氏の姿が、後半になって見受けられなくなった。
どうやら、銀メダルを携えてロンドンから帰国する三宅宏実選手を出迎えに行かれたようである。
残念がる管理人を、高校生リフター君たちが慰めてくれたものである。

その年の岐阜国体。
大会2日目、トレードマークの髭を整え、会場に現れた岡本氏。
試合を観戦される三笠宮瑤子女王の説明役を仰せつかったとのこと。
前年、その大役を果たされた篠宮氏から、瑤子女王の反応が薄いと聞かされていた岡本氏は少し緊張気味。
約20分の任務終了後には、ホッとしたご様子だった。
三宅選手の銀メダルの話題に触れると、瑤子女王が微かに微笑まれたとか。

ジュリーの仕事に対しても、忠実な方だった。

三宅選手と八木選手の初の直接対決となった2014年の全日本選手権。
メディアも注目し、テレビカメラが入る中で、信念を持って三宅選手の判定を覆した岡本氏。

リフター魂61 全日本選手権2014①

タイムキーパーの慈悲心にも目を瞑らない。
タイムオーバーを理由に判定を覆したことも…

是を是とし、非を非とする(荀子)

管理人のウエイト観戦に、ある種の愉しみのエッセンスを加えてくださった方であることは間違いない。

冬枯れの景色の中で届く別れの知らせは切なさを秘めて、しじまの中を時間だけが通り過ぎて行く。

日本ウエイト界の歴史を背負い、未来への展望を胸に、ひたむきに駆け抜けてこられた岡本氏。
季節の風には敏感でも時代の風には流されない、誇り高きその人生に献杯!!


‥*・。*゜‥☆‥*・。*゜‥☆‥*・。*゜‥


全ての憂いも悲しみも、過ぎ行く2017年が持ち去ってくれる。
そして心優しき2018年が、宝石を携え、今、扉の外に立っている。
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2017/07/04

リフター魂90 3度目の夏

「星になった君へ」


あれから…
3度目の夏がやって来た。


あまりにも突然の別れだった。
夢なのか…
現実なのか…
心の整理もつかないままに、この記事を書いた。

リフター魂73 星になった君へ


彼と初めて会ったのは、2012年の岐阜国体。
その前から彼の名前は知っていた。
各試合の結果表に、いつもその名は上位に記載されていたから。

第一印象は、少年漫画から抜け出してきたような軽やかさ。
彼を護衛するかのように、大きな選手たちがその周りを取り囲んでいた。

小柄な彼のどこに、あんな重いバーベルを持ち挙げるパワーが潜んでいたのだろう。

時に日の丸を背負い、
時に母校の誉れのために、
また時に郷土愛に燃えて、
彼はバーベルを挙げた。

高校3冠。
大学時代は4年連続でインカレのプラットに立ち、2度チームを優勝へ導いた。
高校時代、大学時代、また社会人としても国体に出場し、故郷・沖縄の総合優勝に貢献してきた彼。

リフター魂41 チーム沖縄

過去に書いたもので、彼の名前が出てくるのはこの記事だけである。
それでも2年前、多くの人が彼の名前を辿ってこのブログを訪ねてきた。
あのとき訪問してくれた人たちは、ここに彼の面影を見出すことができたのだろうか。

その年の秋、チーム沖縄は国体4連覇を遂げた。
プラットホームを見つめ、「ここにいたのにな~」と、呟いた姉。
主語はなかったが、誰のことを言っているのかはすぐにわかった。
管理人も、同じことを考えていたから。

人間の事情などは構わずに、淡々と時は流れ、季節は巡る。

3度目の夏。
記憶の頁を開きながら目線を上げれば、沖縄の空にミルキーウェイ。
無数の星たちが寡黙に舞う。

2年経った今でも…
やはり… 「さよなら」は言わない。

管理人の人生の途上に軽やかに現れ、何も告げずに遥かな空へと駆け上って行った彼。


思いを共有させてくれて、ありがとう。
忘れないよ、君のこと…

―東門勇将くん―



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もう一度会いたかったな~
この笑顔に
(岐阜国体にて)
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2016/03/12

リフター魂80 弥生の風に運ばれて…

昨年の夏、天国へと旅立つ若い命を見送って8ヶ月。
(参照 「リフター魂73 星になった君へ」
その追悼記事も書けないうちに、また一つ、さらに若い命の灯火が消えた。

3月9日。
弥生の風に運ばれて、川満健作君が旅立った。
ひたすらに命を燃やした20年余りの人生である。

沖縄の南部工業高校から金沢学院大学へと進み、その生涯のおよそ3分の1をウエイトと共に歩んだ。

「記録より記憶に残る選手」という言葉がある。
全国大会で活躍するような選手ではなかったかもしれないが、間違いなく彼はウエイトの神様に愛されたリフターである。
彼にとってプラットホームは戦いの場所ではなく、喜びの空間だったのではないだろうか。

高校時代、彼は一度インターハイの舞台に立った。
南部工業の他の選手の試技をドキドキしながら見守っていた管理人だが、彼がプラットホームに現れると、なぜかドキドキ感は全くなく、リラックスでき、「思いっきりこの時間を楽しんでほしい」と心から思えたのである。
(もちろん彼は一生懸命だったが…)

6年前、金沢の兼六園を一緒に訪ねたことがある。
チームメイトに心を配り、いろいろと世話を焼いていた姿が懐かしく思い出される。

ご両親に対しても、彼はその心配りを忘れなかった。
病との壮絶な闘いの日々。
相当な痛みがあっただろうに、ご両親を気遣い、それを表には出さなかったという。
「ウエイトのお陰です。ウエイトをやって、息子の人生は充実したものになりました」
哀しみの中で、ご両親はそう語られたとか。

振り返れば20数年前、その小さな手に夢をいっぱい握りしめて生まれてきた彼。
その手でバーベルを挙げ、その手で多くの人のもとへ幸せを届けた。
彼の夢は、いくつ叶ったのだろうか。

ピュアなハート。
他者を傷つけない生き方。
命は眩しく輝いて、こんなにも愛おしいということを、存在そのものをもって教えてくれた彼。
真っ直ぐな眼差しで明日を見つめ、ひたむきに命を生き抜いた勝利の人生を称えたい。

果てしなく続く時の流れの中で、限られた時間を生きる人の一生。
同じ時代に生き、出逢えた“奇跡”に思いを巡らす別れの春。

柔らかな弥生の風が、想い出を運ぶ。


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川満君のご両親が寄贈された部旗
参照 「リフター魂36 北信越総体② 応援旗」

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2012年8月 インターハイ試合会場にて
部旗の下で、高校・大学のチームメイトの新垣悠太君と

(金沢学院大学ウエイトリフティング部のFacebookに、3ヶ月前のインカレに応援にやってきた彼の写真が掲載されている)


ちょうど今頃、彼の告別式が執り行われていることだろう。
この記事を、川満健作君に捧ぐ。
安らかに…
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2015/06/29

リフター魂73 星になった君へ

遥かな時間を旅してきた星たちが、夜毎に瞬いている。
その静寂の中へ、若い命が旅立った。

国内外で活躍し、高校、大学、そして社会へと巣立った後も、男子軽量級を牽引してきた一人である彼。
彼と会うのは年に一度、国体のときだった。
小さな体で重いバーベルを持ち挙げていた姿が懐かしく、愛おしい。

もうすぐ七夕。
こと座のベガ(織姫星)とわし座のアルタイル(彦星)の、年に一度の逢瀬が叶う日である。

星降る夏の夜。
天の川に瞬く星の一つとなって、いつまでも煌いていてほしい。


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天の川を隔てて煌くベガとアルタイル
(もう一つの一等星、白鳥座のデネブと共に夏の大三角を描いている)


<追記>
ここしばらく、彼の名前でこのブログを訪れる訪問者が増えている。
突然の別れに戸惑いつつ、何かを探したくて、ここへ辿り着いたのだろう。

人懐っこい、あの笑顔にもう会えない。
管理人にとってもその現実は受け入れ難く、ついに記事中に彼の名を記すことはできなかった。

時の流れが喪失感を癒し、想い出話を語れる日がやってきたなら…
そのとき… 彼が刻んだ足跡を、このブログの上で辿ってみたいと思う。

だから… 今は、「さよなら」は言わない。


リフター魂90 3度目の夏
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2012/02/08

リフター魂27 橋本建郎監督を偲ぶ

昨年の山口国体が終わって約1ヶ月後。
11月6日、ウエイト界の底辺を支えてきてくださった、ひとつの灯火が消えて行った。
逝かれた方は、関西大学の橋本建郎監督である。
関大で選手たちと向き合う一方で、未来を見据えて子供たちの指導にも力と心を注いでこられた方である。

バーベルに魅せられた一人の存在は実に大きく、そのもとで多くの選手が育って行った。
関西学生ウエイト界を代表する白草竜太選手もその一人である。

まぶたを閉じるその時まで、ウエイトの発展を願い、小さな炎を内に燃やし続けておられたことだろう。
柩に眠る監督の天国への旅支度は、関大のチームジャージだったと聞く。

管理人は、生前の監督と言葉を交わした記憶はないが、試合会場で幾度もすれ違っていたはずである。
同じ空間で熱い時間を共有させていただいた者として、心から哀悼の意を表したい。

ウエイトを愛し、ひたすらに駆け抜けてこられた一筋の道。
感謝の気持ちを花束にして、橋本監督へ贈りたいと思う。

どうぞ安らかに。

(来月、大阪ウエイトリフティング協会主催で"橋本監督をしのぶ会"が執り行われる)


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故 橋本建郎監督

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監督が心血を注いで指導してこられた関大重量挙部道場
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