2018/09/22

リフター魂100 ウエイトリフティングブログとして

ウエイト界に、何か”コト”が起こると、ブログのアクセスが増える。

例えば三宅宏実選手の五輪メダル獲得など、国内外で選手が活躍すると、それに呼応するようにアクセス数が伸びる。
たいていは、そのように良き”コト”の場合が多い。
他のウエイトリフティングブログにも、同じような傾向が見られるのではないか。
ところが今月、それとは違う”コト”でアクセス数が伸びた。

この記事が、リフター魂シリーズ100番目の記事となる。
「リフター魂100」を一つの区切りにしようと思っていたので、それにふさわしい内容を探していた。

ウエイト界に激震が走るような爆弾を投下して、このブログを閉じてしまおうかと考えたりもしたが、どうやら爆弾は別のところから投下されたようである。
そもそも管理人は、そんな爆弾を保有していないし-_-;

スポーツ界を取り巻く昨今のさまざまな報道は巨大なエネルギーを持ち、ともすると判断力を鈍らされてしまう。
人は普通に歩いていても、地面を這っている虫を、気付かずに踏むこともある。
一連の流れに、胸に手を当てて自らにこう問いかけずにはおれない。
「私は、誰かを傷つけてはいないだろうか…」と。

WL協会前会長の小池百合子氏は、しばしば「アスリートファースト」とおっしゃってきた。
「TOKYO 2020」を控えた都知事としての言葉ではあるが、現会長も、当然それを継承されているはず。
父親である前に、多くの選手を預かる代表監督であるはず。

9年前に初めて観戦したインターハイで、選手のTシャツの背中に見つけた“リフター魂”の文字。
その美しい響きに心奪われ、それから約1年後、リフター魂シリーズをスタートさせた。
“記念すべき”「リフター魂100」を、このタイミングで書くことになった。

100番目の記事を送り出したら、ブログを閉じないまでも、形態を変更しようと思っていた。
ところが今回のアクセス数の異様な推移に心が揺れ、ウエイトリフティングブログという立ち位置で、このまま継続させることにした。

今後、記事のタイトルに“リフター魂”とは付けないが、このワードはブログタイトルに冠して残す。
これからは軽めの記事も書いていく。
もちろん、重い記事もアップする。
「重量挙げ」だから^_^

2020年夏。
このブログを含め、ウエイトリフティングブログのアクセス数が、過去最高に伸びることを期待しつつ…
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2018/04/13

リフター魂95 Simple is Best

昨年の愛媛国体の記事

リフター魂91 愛媛国体①
リフター魂92 愛媛国体②
リフター魂93 愛媛国体③

この流れで、次は105キロ超級の試合について書くつもりだった。
他にも愛媛国体関連で書きたい記事はいろいろあったのだが…。

昨年末よりタスク満載の日々が押し寄せ、ブログの更新がままならず。
ようやく落ち着いた頃には、ソメイヨシノが開き始めていた。
時機を逸した感があるので、それらの記事は別の機会に書くことにしよう。

ソメイヨシノは見頃を過ぎ、その花びらを散らせたが、今日に至るまでブログを更新する気が湧いてこなかった。

そんな中、管理人のリフター魂を呼び覚ましたのは、姉のこの言葉である。
(管理人はリフターではないが^_^;)

「どちらか言うと、駆け引きよりも気合のガチンコ勝負に魅せられる。
相手が何キロ挙げようとも、それ以上に挙げればこっちの勝ち」

当たり前のことである。
けれどもこの一言が、管理人のハートを射抜いたのである。

そうだった!!
ウエイトリフティングは、そういう競技だった!!
(今さら何を言っている!?)

あの初観戦の日…。
金属と金属が触れ合う乾いた音。
バーベルが床へ帰る落下音と振動。
試技ごとに繰り返される沈黙と歓声。

異次元空間へ誘われたようなあの不思議な感覚から9年。
管理人の中で、ウエイトリフティングは複雑なものになっていたような気がする。

細かいルールや制約はある。
ただ挙げれば、それで良いわけではない。
けれども、最終的に一番重い重量を挙げた人が勝者となるという点では、非常にシンプルでわかりやすい競技である。

時に気が遠くなるような退屈な練習の繰り返し。
それに耐えた人が掴み得る栄光。

すべては勝負のプラットで、最も重いバーベルを挙げるため。


‥∵‥☆‥∵‥∵‥☆‥∵‥∵‥


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どこかで使いたいなと思っていたこの写真。
2015年の和歌山国体での一枚である。
左から、村上英士朗選手(富山)・近内三孝選手(福島)・松岡猛紀選手(熊本)・知念光亮選手(沖縄)

松岡選手が、憧れの選手たちと記念撮影をしていたのだろうか。
そこへ通りかかった管理人。
「私にも一枚撮らせて」と言うと、うろたえ始める松岡選手。
「いや… あの… 僕は… この人たち、すごい人たちなんで…」

「ナショナルメンバー、すごいのはわかってる。だから撮らせて」と、管理人。
すると今度は近内選手が「僕はナショナルじゃない」と言い出す。
「(世界)ジュニア、出てただろう…」と、知念選手。

もうわかったから…
だから黙って撮らせて!!

ということで…
ようやく撮らせてもらった一枚である。

「僕はナショナルじゃない」と言っていた近内選手。
彼は今、69キロ級日本記録保持者である。
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2016/04/12

リフター魂81 あれから6年…

安藤美希子選手


先日、「安藤美希子応援ブログ」さんが、管理人が4年前のロンドン五輪の年に書いた記事「リフター魂30 安藤美希子選手」を取り上げてくださった。
(「応援ブログ」さんの、その記事はこちら

この記事は、今から6年前の全国高校選抜で安藤選手に出会ったときのことを書いている。
管理人にとっても思い入れがあり、彼女の活躍により、いまだにアクセスの多い記事の一つである。

この大会では、すでに58キロ級の高校記録を持つ彼女が上の階級に挑み、63キロ級でも高校記録を打ち立てた。
記事には書いていないが、この時、増量して63キロ級にエントリーしていた選手は他にも数名いた。
彼女たちは、安藤選手がいる58キロ級を避けて63キロ級に挑んできたのだった。
エントリーリストを見たとき、さぞかし驚いたことだろう。
逃げてきたはずの階級に、最大のライバルが待ち構えていたのだから。

その中の一人、高岸冴佳選手のお母様はおっしゃっていた。
「ウエイトを始めてから、今までの中で一番練習していた」と。
その結果、高岸選手は自己ベストを更新して、安藤選手に次ぐ2位の成績だった。

人生の途上において、この人さえいなければ…という場面に遭遇することがある。
けれどもそれは、自らを高めるために天から与えられたギフトなのかもしれない。

「応援ブログ」さんの記事は、この大会で安藤選手が樹立した63キロ級の高校記録を、石井未来選手(亀山高校)が6年ぶりに塗り替えたことを伝えている。
(石井選手、おめでとうございます\(^o^)/)

自分ではもはや奪還することができない過去の記録が消えてしまうことを、選手たちはどう思っているのだろう。
中学記録と高校記録を持っている屋良一郎選手(沖縄国際大学)に尋ねたことがある。
彼はしばらく考えて、「過去の記録は… もう次に向かってますから…」と言った。
彼の名前と記録はまだしっかりと刻まれている。
実際に消えたときには、また違う感情が沸き起こるかもしれない。

安藤選手の場合、主戦場は58キロ級であり、高校・ジュニア・大学、さらには日本記録も有している。
自分の名前が消えることに対し、寂しさを感じないと言えば嘘になるかもしれないが、彼女もまた、“次”に向かっていることだろう。

決して戻ることはできない過去を背に、彼女が見つめているのは、自らが持つ日本記録の更新である。
そしてその先に、リオの舞台が見えてくる。


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6年前、63キロ級で日高新を樹立した安藤選手
「応援ブログ」さんと同じく、協会のHPからお借りした。
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2015/03/04

リフター魂71 旅立ちの春

突然だが…。

管理人にとって、尊敬する人は母。ライバルは姉である。
姉とは、生き方も考え方もまるで違う。
共通点と言えば、血液型とウエイトファンということくらいだろうか。

国や自治体の審議委員などを多く務めてきた彼女は、問題提起を使命と心得、厳しい目線で物事を見つめている。
そんな彼女が、いつからこんな優しい文章を書くようになったのか…。

過去の一時期、彼女は某企業の会報(毎月発行)にエッセイを連載していた。
その中に、ウエイトに関するものがある。
リフターだった彼女の娘(管理人の姪)の卒業式の日のことを振り返り、母の目線で書いたものである。

3年前に書かれたものだが、卒業シーズンを迎えた今、関係者の了承を得てここに掲載させていただくことにした。
リフターに限らず、今春巣立って行くわが子を持つ全ての母へ贈りたい。


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旅立ちの春(2012年) 

3月1日は高校の卒業式だった。
母はこの日初めてウエイトリフティング部の部室を訪ねた。
娘が過ごした3年間、一日も休まず練習に励んだウエイト部の練習室。

顧問のN先生の指導のもと練習に汗を流した思い出の場所である。
バーベル・シャフト・円盤・体重計・ホワイトボード、いろんな器具や道具がそこにあった。
15年前に着任されたN先生が、少ない予算の中で長い時間をかけて揃えられたものだ。

雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も部員を見つめ続けた練習道具たち。
室内をぐるりと見渡してみる。
壁には色褪せた寄せ書き、写真、賞状もあった。
そのひとつひとつが部の歴史と営みを物語っていた。
記録表に記された部員の名は、全部で10人あまり、いつの時も少人数での活動だった。
そして今でも3人だけのウエイトリフティング部である。
歴代の先輩たちがN先生と練習を重ねた大切な空間、澱んだ空気が切なくいとおしい。

一昨年の夏、娘は主将となりいっそう練習に身を入れた。
来る日も来る日もシャフトを握り、夢中でバーベルを挙げていた。

そして迎えた最後のシーズンに、新入部員はひとりも来なかった。
セコンドに記録員にと3人がフルで試合に臨んだ最後の1年間、決して強いチームではなかった。
けれども、大きな大会・小さな大会、足を運び続けた母はその頑張りをいつも近くで見つめてきた。

長い人生のわずか3年、短い物語を紡ぐようなウエイト部での日々。
しばし佇んで母は部室を後にした。
帰り際、校門脇に掲げられたままの応援ボードを見上げてみる。

『~~祝・ウエイトリフティング全国大会出場 ○○○○さん~~』

出場はしたけれど結果が残せなかった夏の全国大会、・・・そして引退。
ウエイト競技は高校まで、いつの頃からかそう決めていた。
4月から新しい舞台へと踏み出す娘、その門出を応援ボードの文字が静かに見つめていた。
母は校旗を振り仰いだ。
そして深く頭を下げてつぶやいた。
『さようなら高等学校、さようならウエイトリフティング部』
いつもの道、さわやかな風、気さくな駅前商店街・・・3年間娘を見守ってくれたすべての人、すべての景色へ、心からの感謝をこめてありがとうございました。

そして・・・今。
初めて部室を訪ねたあの卒業の日から、まもなく2度目の春を迎える。

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リフター魂11参照
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2015/02/04

リフター魂70 記録の呻き

記録は破られるためにある

昨年、ある試合会場で観戦したときのことである。
その会場は普段、練習場として使用されている場所であり、壁には公式記録の一覧表(日本記録から中学記録まで)が貼られていた。

日本ウエイトリフティング協会のホームページからプリントアウトしたもののようだが、それがいささか古かった。
古いと言っても2012年と2013年のものである。

最新のものはウエイト協会のホームページを開けば閲覧できる。
それ故、消えてしまった過去のデータは希少価値があり、なかなか興味深かった。
知り合いのリフター君とその一覧表を見ながら、非常に盛り上がったものである。

「この時は○○さんが(記録を)持ってたんだ。今は○○さんだよね」
「○○君、今は○○キロくらい挙げてるよね。1年間で結構伸ばしたね」
などといった具合で、かなりの時間楽しませてもらった。

考えてみると、わずか1~2年前のデータである。
その間にいくつもの記録が塗り替えられた。
そんな中、燦然と輝く記録がある。
1999年に樹立された男子105キロ級の日本記録である。

21世紀を迎えて十数年の時が流れた今も残る20世紀からの記録。
その保持者は、沖縄に住む吉本久也氏である。
アトランタとシドニー、2大会連続オリンピック出場経験を持つ、日本人初の400キロリフター。
数年前に太田和臣選手に抜かれるまでは、105キロ超級の日本記録も持っていた。

「記録は破るためにあり、また破られるためにある」と言われる。

世紀をまたいで、なおも鮮やかに刻まれ続ける日本記録。
その記録自身が、「超えてくれ」と呻いているのが聴こえてくる。

その記録が破られる時、男子重量級は底上げされる。
そしてそれは、世界と戦うためのプロローグである。


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国体3連覇中のチーム沖縄
吉本氏はスタッフの一員として帯同する
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