2018/11/05

イブはウエイト? それともデート?

インカレ1部の試合が、クリスマスに組まれることがある。
観戦の予定がなかったので、今年の日程を見ていなかった。

先日の国体で、法政大学の平良監督にお聞きすると、今年は違うとのこと。
「良かったですね」と管理人。
(何が良かった?)

「お正月から走っている人もいるしね~」と監督。
そうだった!!
管理人の好きな、襷を繋ぐ「あれ」ね(^^♪

「(クリスマスじゃなくて)良かったですね」と言ったのは、選手たち…
イブにデートができるねって意味だったのだけれど、監督の前では、それを言葉にはしなかった^_^;

クリスマスのインカレを観戦したことはないが、なんとなく特別感があるようにも感じられる。

今年は、大会が終わった後にクリスマス。
選手たち… 少しは、はじけられる!?

インカレは、学生リフターにとって勝負どころ。
来年の日程はわからないが、クリスマスならデートは封印!!
特別、1部昇格を果たした日体大の選手たちは…。
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2018/11/04

嗚呼!! 日体大

管理人が存じ上げる高校のウエイト部の先生方には、日体大の出身者が多い。

インターハイを観戦していた頃、「今日は日体大のOB会です」という情報が、毎回、耳に入ってきた。
(法政大学のOB会の情報も入ってきたが、当然、いずれも管理人にお誘いがかかることはなかった^_^;)

創設者・日高藤吉郎が掲げる「體育富強之基(たいいくふきょうのもとい)」を建学の精神として、日体大の母体が設立されたのは1891年(明治24年)に遡る。
以来、「体育・身体活動・スポーツを通じた健康で豊かな社会・人づくりの実現」をミッションとしてきた。

日体大ウエイトリフティング部は、1973年からインカレ5連覇。
優勝11回と、黄金期を築いた。
流れる時代と共に歩み、学生ウエイト界の歴史に足跡を刻んだ日体大。

それが… 今年… なんと… 
インカレ2部のプラットホームに立っているではないか!!

「ここは、あなたたちのいるべき場所ではない!」
プラット上の彼らに、そう語りかけた。

今大会で優勝を果たし、めでたく1部に返り咲いた日体大。
「もう、ここへは帰って来ないでね」
閉会式を見つめながら、そう祈る管理人だった。

強い日体大よ!! 再び。
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2017/06/22

リフター魂89 世界ジュニア選手権 銀メダル

サッカー日本代表で言うなら、本田圭祐。
左大腿部側面の“ゼッケン4”が眩しかった。

日本で開催中の世界ジュニア選手権69キロ級で銀メダルを獲得した宮本昌典選手。
地元の期待を一身に背負い、“金”を目指してプラットホームに上がった彼。
スナッチでトップに立ったが、ジャークで逆転を許し、1キロ差で“銀”という結果だった。

ホームで世界大会を戦うことは、
喜び? それとも重圧?
あるいはその両方?

表彰台に立つ彼の頬に光っていたものは、
汗? それとも涙?
汗なら… すでに引いていた頃だろう。

とめどなく流れるその涙は、
嬉し涙? それとも悔し涙?

嬉し涙と悔し涙では、その味が違うという。
自律神経の影響で、悔し涙は塩分濃度が高まるために塩辛いようである。

拭っても拭っても頬を伝う涙。
その味は、海水のごとく塩辛かったことだろう。

駆け引きに敗れた?
それも含めてウエイトリフティングである。

かつてインターハイや高校選抜を観戦する機会が多かった頃、采配に苦慮する指導者たちの姿を目の当たりにした。

選手が強くなるにつれ、指導者は悩む。
記録に挑ませたい…
実績を積み上げてきた選手に敬意を払いつつも、勝負に負けては元も子もないと考える指導者たち。
そんな中で、どこに着地点を見出すか…
選手と指導者間の信頼関係の重要さを認識したものである。

と言っても、高校ウエイトは部活動である。
もっと上のステージになれば、様々な思いが重なり、複雑に絡み合うこともあるだろう。

今回の試合でどのように重量が決められていったのかはわからないが、作戦ミスを指摘しつつも三宅義行WL協会会長は、このように語ったと記事が伝えている。
「コーチ任せではなく、駆け引きも自分で勉強していかなければ…」

宮本選手が小学生だった頃から、彼を知る三宅氏。
その言葉には、20歳のホープの今後への期待が込められている。

もう少しで届きそうだった金メダル。
それを手にするために、あと何が必要だったのか。

心優しさはそのままに。
素直さもそのままに。
その“何か”を見つけてほしい。

オリンピックなどで、銀メダルの選手の表情が曇っている光景をしばしば見る。
そんな時、管理人の心は痛む。
メダルに対しても、頑張った自分に対しても、あまりに失礼ではないだろうか。

限られた人しか掴むことができない「世界の銀」に胸を張ってほしい。

次に彼が流す涙が、淡水のごとく薄味であることを願いつつ…


‥∵‥☆‥∵‥∵‥☆‥∵‥∵‥

<参照>

リフター魂87 宮本昌典選手(東京国際大学)

この記事を書いた約1ヶ月後の全日本ジュニアで、彼は日本記録を樹立した。

試合会場でそれを見届けた「ウエイトリフティング大好き人間」宮田氏が、ご自身のブログで紹介してくださっている。

日本新記録!クリーン&ジャーク177Kg!

添えられているコメントが興味深かったので、勝手ながらここに引用させていただく。

~これにより、宮本選手は中学、高校、ジュニア、大学、そして一般と、すべての年齢区分での記録保持者となる歴史的快挙です!(あとは15年後にマスターズ記録を樹立し、各々が更新されなければ完全無欠です(笑))~

マスターズ記録とは^^;

宮田さん…
あなたのイマジネーションは、ワタクシのそれをはるかに超えています(^_-)-☆


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宣言通り、この手で日本記録を掴んだ。
さあ、次はオリンピック!!
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2016/11/14

リフター魂86 東京国際大学ウエイトリフティング部

「真の国際人の養成」を教育理念に創学された東京国際大学。
その理念はスポーツ分野にも活かされ、近年、同大学の体育会系の活躍が目覚しい。
指導陣には名立たる人材が揃い、世界を見据えて各部の活動が行われている。

東京五輪の開催が決定した3年前、ウエイトリフティング部創設の準備が始まった。
五輪金メダリストの三宅義信氏を監督にいただき、元女子日本代表監督の三宅敏博氏をヘッドコーチに迎えてウエイト部が船出したのは、2014年4月のことである。

1年目の部員はただ一人。
敏博コーチの熱烈なラブコールに応えてパワーリフティングから転向した芳陵青空選手。
昨年、高校記録保持者の宮本昌典選手らが入部。
そして今年、同じく高校記録保持者の石井未来選手らが加わり、部員は16名。

今月、大阪・羽曳野で行われたインカレⅡ部の大会に、貸切の大型バスで埼玉から乗り込んできた彼ら。
インカレ初参加でⅡ部の頂点に立ち、一気にⅠ部昇格を決めた。

歴史と伝統を持つ強豪大学が、、その威信を賭けて挑んでくるインカレⅠ部。
意地と誇りがぶつかり合う中で、彼らは来年戦うことになる。
(女子のインカレは来月に行われる。)

創部3年目。
3年生の芳陵主将と1年、2年のフレッシュな部員たち。
その瞳は、未来と希望に満ちていた。

大学日本一を目指す彼らの戦いは、まだ始まったばかりである。


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はびきのコロセアムにて


次回、Ⅰ部昇格の立役者の一人、宮本選手について書きたいと思う。
彼のことは、下記の記事でも取り上げている。

リフター魂47 男子62キロ級
リフター魂62 全日本選手権2014②
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2014/03/11

リフター魂58 沖縄国際大学重量挙部

沖縄に、高校生リフターの受け皿が一つできた。
これまで全国大会で活躍した沖縄の選手たちの多くは、卒業後、本土の大学へと進んでいた。

高校生活も後半にさしかかり、知念光亮選手は進路について悩んでいた。
「遠くへ行ったら、自分はダメになる」
自らの性格を冷静に分析し、数多の大学からのラブコールにも、その心をときめかせることはなかった。

「光亮は出さない」
教え子たちが大学で伸び悩む姿を見てきた金城政博先生の決意も固かった。

思いが重なり、祈りが満ちた時、道は開けるものである。

それは、何気ない世間話から始まったのかもしれない。
知念選手の母は、ある日、わが子の悩みを旧友に打ち明けた。
「何か良い方法はないかしら?」

「そんな選手がいるのなら、沖縄で育てよう」
“その人”の動きは速かった。
すぐに沖縄国際大学へ働きかけ、同大学に重量挙部が新設されることとなった。

年が明け、スポーツ推薦で同大学に迎え入れられたのは、知念光亮、屋良一郎、仲西弘一の高校チャンピオンたちである。

卒業後、沖縄に残って練習を続けることなど、一年前には想像できなかった彼ら。
ただ強くなりたい。
その思いだけで、バーベルと向き合っていた。
無限の可能性を、賢明な沖縄は手放さなかった。

沖縄に生まれ、沖縄で育ち、そして沖縄でウエイトと出合った彼ら。
見守り続けてくれた故郷の全ての人・物・事への感謝をバーベルに託し、地元・沖縄から、彼らは世界を目指す。

合言葉は、「沖縄からオリンピックへ」

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どや顔の沖国トリオ
左から、仲西弘一選手、知念光亮選手、屋良一郎選手

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県大会で、200キロジャークを成功させる知念選手
村上英士朗選手も、練習で200キロを差している
高校記録の一覧に、最後に名前を残すのはどっち?


‥☆‥∵‥∴‥∵‥☆‥∵‥∴‥∵‥☆‥


いつの世も、熱いハートを持って立ち上がった男たちが時代を創ってきた。
沖縄とウエイトリフティングを結ぶ歴史においても、立ち上がった男たちがいることを知ってほしい。
「リフター魂5 ウエイトリフティング王国沖縄」の記事に書いた一文である。

沖縄から本土へ渡るのにパスポートが必要だった時代、「国体総合制覇」という目標を掲げて奮起した男たちがいた。
それから時は流れ、国体で14回の優勝を誇るウエイトリフティング王国となった今、そのさらなる発展のために、また一人、立ち上がった男がいる。

今回の記事中に登場した、知念選手の母の旧友。
沖国大重量挙部について、この方抜きには語れない。
この方にスポットを当てた記事の内容にしたかったのだが…

沖縄のリフターたちに新たな選択肢を備えてくださった方は、どこまでも陰の人だった。
今回の記事では個人名の表記を控え、その記述も最小限にとどめた。
そして管理人は感謝と敬意を込めて、ただ一度、“その人”と表記することにした。
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