昨年の愛媛国体の記事

リフター魂91 愛媛国体①
リフター魂92 愛媛国体②
リフター魂93 愛媛国体③

この流れで、次は105キロ超級の試合について書くつもりだった。
他にも愛媛国体関連で書きたい記事はいろいろあったのだが…。

昨年末よりタスク満載の日々が押し寄せ、ブログの更新がままならず。
ようやく落ち着いた頃には、ソメイヨシノが開き始めていた。
時機を逸した感があるので、それらの記事は別の機会に書くことにしよう。

ソメイヨシノは見頃を過ぎ、その花びらを散らせたが、今日に至るまでブログを更新する気が湧いてこなかった。

そんな中、管理人のリフター魂を呼び覚ましたのは、姉のこの言葉である。
(管理人はリフターではないが^_^;)

「どちらか言うと、駆け引きよりも気合のガチンコ勝負に魅せられる。
相手が何キロ挙げようとも、それ以上に挙げればこっちの勝ち」

当たり前のことである。
けれどもこの一言が、管理人のハートを射抜いたのである。

そうだった!!
ウエイトリフティングは、そういう競技だった!!
(今さら何を言っている!?)

あの初観戦の日…。
金属と金属が触れ合う乾いた音。
バーベルが床へ帰る落下音と振動。
試技ごとに繰り返される沈黙と歓声。

異次元空間へ誘われたようなあの不思議な感覚から9年。
管理人の中で、ウエイトリフティングは複雑なものになっていたような気がする。

細かいルールや制約はある。
ただ挙げれば、それで良いわけではない。
けれども、最終的に一番重い重量を挙げた人が勝者となるという点では、非常にシンプルでわかりやすい競技である。

時に気が遠くなるような退屈な練習の繰り返し。
それに耐えた人が掴み得る栄光。

すべては勝負のプラットで、最も重いバーベルを挙げるため。


‥∵‥☆‥∵‥∵‥☆‥∵‥∵‥


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どこかで使いたいなと思っていたこの写真。
2015年の和歌山国体での一枚である。
左から、村上英士朗選手(富山)・近内三孝選手(福島)・松岡猛紀選手(熊本)・知念光亮選手(沖縄)

松岡選手が、憧れの選手たちと記念撮影をしていたのだろうか。
そこへ通りかかった管理人。
「私にも一枚撮らせて」と言うと、うろたえ始める松岡選手。
「いや… あの… 僕は… この人たち、すごい人たちなんで…」

「ナショナルメンバー、すごいのはわかってる。だから撮らせて」と、管理人。
すると今度は近内選手が「僕はナショナルじゃない」と言い出す。
「(世界)ジュニア、出てただろう…」と、知念選手。

もうわかったから…
だから黙って撮らせて!!

ということで…
ようやく撮らせてもらった一枚である。

「僕はナショナルじゃない」と言っていた近内選手。
彼は今、69キロ級日本記録保持者である。

岡本実氏へ、感謝を込めて…


無常の風は時を選ばす…
2017年11月19日21時7分、岡本実氏が旅立った。

日本ウエイトリフティング協会第9代専務理事。
1951年9月29日に生を受けられ、御年66歳のご生涯だった。

管理人は、岡本氏の“ジュリー”が非常に好きだった。
フットワークが良いと言うか…
試合中、しばしばジュリー席から立ち上がり、進行席の方へ歩み寄って行かれる。
試合よりも、その行動を目で追う方が楽しかったこともある。

2012年のインターハイ。
大会前半には試合会場にあった岡本氏の姿が、後半になって見受けられなくなった。
どうやら、銀メダルを携えてロンドンから帰国する三宅宏実選手を出迎えに行かれたようである。
残念がる管理人を、高校生リフター君たちが慰めてくれたものである。

その年の岐阜国体。
大会2日目、トレードマークの髭を整え、会場に現れた岡本氏。
試合を観戦される三笠宮瑤子女王の説明役を仰せつかったとのこと。
前年、その大役を果たされた篠宮氏から、瑤子女王の反応が薄いと聞かされていた岡本氏は少し緊張気味。
約20分の任務終了後には、ホッとしたご様子だった。
三宅選手の銀メダルの話題に触れると、瑤子女王が微かに微笑まれたとか。

ジュリーの仕事に対しても、忠実な方だった。

三宅選手と八木選手の初の直接対決となった2014年の全日本選手権。
メディアも注目し、テレビカメラが入る中で、信念を持って三宅選手の判定を覆した岡本氏。

リフター魂61 全日本選手権2014①

タイムキーパーの慈悲心にも目を瞑らない。
タイムオーバーを理由に判定を覆したことも…

是を是とし、非を非とする(荀子)

管理人のウエイト観戦に、ある種の愉しみのエッセンスを加えてくださった方であることは間違いない。

冬枯れの景色の中で届く別れの知らせは切なさを秘めて、しじまの中を時間だけが通り過ぎて行く。

日本ウエイト界の歴史を背負い、未来への展望を胸に、ひたむきに駆け抜けてこられた岡本氏。
季節の風には敏感でも時代の風には流されない、誇り高きその人生に献杯!!


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全ての憂いも悲しみも、過ぎ行く2017年が持ち去ってくれる。
そして心優しき2018年が、今、扉の外に立っている。
宝石を携え、着飾った貴婦人のように…


成年105キロ級


リフター魂76 和歌山国体①
「20世紀の記録が消える日」
105キロ級 白石宏明選手・持田龍之輔選手


この記事を書いて2年。
18年ぶりに、日本記録が動いた。

「吉本氏の記録、215キロを先に超えてくるのはどちらなのだろう。」
2年前、この記事をそう結んだ。
まずは、その答え合わせをしておこう。

正解は、持田選手である。
今年5月の全日本選手権で、彼がジャーク216キロを成功させた。
が、その直後、白石選手がそれを上回る217キロを挙げ、この時点で白石選手の名が残った。

さらに8月、持田選手が220キロを成功。
ジャークの現日本記録保持者は彼である。

今国体で、また動くのだろうかと試合の行方を見守った。
その期待を裏切ることなく、持田選手がトータルでも日本新記録を樹立した。

1999年から、世紀をまたいで105キロ級日本記録の欄に刻まれ続けた“吉本久也”という名前。
それが二つ消えた。

リフター魂70 記録の呻き

この記事にも書いたように、管理人は、彼の記録が破られる日を待望していた。
けれども実際に彼の名が二つ消えた時、一抹の寂しさを覚えたのも事実である。
それは、一つの時代が終焉を迎える虚無感のようなものだった。

日本人初の400キロリフターとなった吉本氏。
2大会連続で五輪出場。
最重量級での五輪出場も、彼が日本初。
多くの重量級リフターに希望を与えた。

ところが、2回目の出場となったシドニー五輪では、右足靭帯損傷のため途中棄権。
痛い足を引きずりながら、日本から駆けつけた応援団のもとに挨拶に行き、その後、病院へ向かったという。
シドニー五輪後、傷心の中で郷里へ戻った彼。
国際大会には区切りをつけたが、怪我から復帰後、国内ではやはり最も重いバーベルを挙げていた。

光と影を背負いながら時代を創った男の名が、18年の時を経て消えて行く。
その名が消えても、彼の功績が色褪せることはない。

スナッチの欄に、ただ一つ刻まれる“吉本久也”の名。
それを消して、新たな時代を創るのは誰なのだろう。


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持田くん、おめでとう\(^o^)/


“愛媛国体シリーズ” まだ続くよ♪
94キロ級、105キロ級と来れば、次は…

成年94キロ級


94キロ級のエントリーリストに彼の名があった。
85キロ級日本記録保持者の山本俊樹選手である。

すでに世界選手権の代表に選抜されていた彼。
減量を回避してのエントリーだったのか。
もちろん、彼はこの階級でも十分優勝を狙える力を持っている。
実際、94キロ級ジャークの日本記録は、今年の8月に彼が叩き出したものである。

管理人は、この階級の日本記録が非常に気になっている。
スナッチはわずかに85キロ級のそれを上回っているものの、ジャークとトータルは下回っている。
この現象へのもやもや感を、彼が解消してくれることを期待しつつ観戦していた。

94キロ級トータルの日本記録を有しているのは、今も現役で国体の表彰台をキープし続けている平岡勇輝選手である。
彼から「日本記録保持者」の肩書きを取り上げることは忍びないが、全てこの世は諸行無常。
記録は新陳代謝を繰り返しながら更新されていくべきである。

誤解がないように言っておくが、新陳代謝されるべきは記録であって、選手そのものではない。
「後進に道を譲る」という言葉があるが、スポーツの世界でそれは当てはまらない。
強い者が勝つ。
譲られなくとも、超えて行けば良いだけである。

管理人はサッカー(ナショナルチーム)ファンだが、全盛期の頃のキングカズ(三浦知良選手)があまり好きではなかった。
けれども今、精神と肉体を鼓舞しつつ、なおもユニフォームを着続ける彼を少し好きなってきている。

平岡選手のように長きに渡り活躍している選手の試技を観られることが、管理人の国体が好きな理由の一つでもある。

今大会では、平岡選手の日本記録は消えなかった。
団体戦において、優先すべきはより多く得点することである。
連覇がかかったチームのポイントゲッターの一人である山本選手は、きっちりとその仕事を果たし、兵庫を連覇へと導いた。

期待していたジャークとトータルの日本記録更新はなかったが、スナッチでそれが実現した。
日本新記録を樹立したのは、木下竜之選手である。
体重85.58キロ。
エントリーメンバーの中で最も体重の軽い彼が、最も重いバーベルを挙げた。

山本選手とは同郷で、高校時代から切磋琢磨してきた間柄。
学生時代、兵庫のために戦かってきた彼は、福井に拠点を移し、福井代表としてプラットホームに立った。

これまでスナッチの日本記録を持っていたのは、現在、福井県所属の吉岡祐司選手である。
その記録を破り、彼が日本新を打ち立てた瞬間、福井県の関係者が飛び上がって喜び、握手を交わしていた。
その光景を見たとき、彼は「チーム福井」の一員になったのだなと思った。

管理人は国体の記事を書くとき、「郷土愛」や「郷土の誇り」をいう言葉をしばしば用いてきた。
誰しも生まれ育ったふるさとがある。
そしてまた、第二のふるさとや第三のふるさとを持っている人もいるだろう。

人生の長い旅路の中で、一つのふるさととして来年の国体開催地である福井を選んだ彼。
一年後の福井しあわせ元気国体では、地元の大きな声援を受けながら、彼は福井のために戦うことだろう。


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試合後、取材を受ける木下選手
こっそり撮ろうと思っていたら、カメラ目線をくれたサービス精神旺盛な彼

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こちらは地元の大声援を浴びてジャークで2位に入った愛媛県代表の矢葺士選手


“愛媛国体シリーズ”は次回、成年105キロ級を取り上げる予定
(気が変わらなければ^^;)

チームおきなわ ~王国再建へ~


過去16度の総合優勝を誇るウエイトリフティング王国沖縄が苦しんだ。

全日本選手権王者の宮本昌典選手が、大会直前に腰を痛め欠場。
比嘉貴大選手に召集がかかったのは、試合の5日前だった。
しかも一つ下の階級、77キロ級での出場である。
体重はダウンさせつつ、モチベーションをアップ。
調整不足は否めない。

総合で上位に入ることは、チーム沖縄に課せられたミッションである。
もちろん、目指すところは優勝である。
国体のプラットホームを想い出作りの場にすることは、王国のメンバーには許されない。

9位以下なら失格も同じ。
失敗しても… 失敗しても…
得点圏内の8位のラインを見据えて大幅に上げられていく重量。
容赦ない重量アップにひたむきに挑み続ける彼の姿に心が痛んだ。
かつて完全優勝を果たした経験もある彼の今回の結果は、スナッチ、ジャーク共に記録なし。

その後、今大会に調子を合わせてきた新垣悠太選手(85キロ級)が上位に入ったものの、学生リフターの屋良一郎選手(94キロ級)と知念光亮選手(105キロ超級)は、国内外連戦による疲れや怪我の影響で、本来の力を発揮することが叶わなかった。
成年の試合が終わって、まさかの14位。

続く少年3選手が確実に得点し、女子選手の健闘もあり、最終的にチームを総合4位にまで押し上げた。
辛うじて、王国の面目を保ったと言えるかどうか…
ビミョーなところである。

思えば、パスポートを携えて国体に参戦していた復帰前。
将来、16度の総合優勝を果たすことを、誰が想像しただろうか。
熱いハートを持って立ち上がった男たちのパッションが、ウエイトリフティング王国沖縄を誕生させた。

リフター魂5 ウエイトリフティング王国沖縄
リフター魂39 壺屋焼に思う ~琉球王国からウエイトリフティング王国へ~

管理人が初めて国体観戦をした2012年岐阜国体からチーム沖縄は4連覇。
昨年は準優勝である。

走り続けてきた沖縄には、少しの休養が必要だったのかもしれない。
しばし休んで疲れを癒したなら…
再び目覚め、ウエイト王国再建へ!!


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試合後、沖縄のテレビ局の取材に真摯に対応する比嘉選手
最後まで、よく頑張ったね\(^o^)/


管理人にとって、2年ぶりの国体観戦♪
“愛媛国体シリーズ”は、しばらく続くよ(^_-)-☆