2012/10/14

リフター魂40 浅田浩伸選手

不死身の男が、国体のプラットホームに帰ってきた。
浅田浩伸。1970年生まれである。
夫人は、アテネ五輪と北京五輪で女子監督を務めた(旧姓 長谷場)久美さん。

管理人が初めて彼の試技を見たのは、一昨年の全日本選手権だった。
そのとき、あの事故は起きた。
スナッチ3本を軽く成功させた後に臨んだジャークの1本目。
異様な音とともに、彼はプラットホームに倒れ込んだ。
膝の腱が断裂した音だと、後に知る。
そして彼は、数ヶ月の入院生活を余儀なくされた。

このまま引退?
そう思ったウエイト関係者もいたかもしれないが、彼の中に、その選択肢はなかった。
今年の3月、全国高校選抜大会の試合会場に、審判を務める彼の姿があった。
熱いハートもそのままに、彼は健在だった。
「石川県もレベルが高くなってきたので厳しいですが、もう一度、国体に出たいです」と語る彼。
「僕の中に“石川・愛”があるんです」とも語ってくれた。

彼がどれだけの努力を重ねたのか想像もつかないが、流した汗と引き換えに、石川県の代表として、岐阜国体のエントリーリストにその名を連ねた。
その陰に、久美夫人、そして彼を愛する多くの人の祈りと支えがあったことは言うまでもないが。

彼にとって3年ぶりの大舞台。
「僕が出られるくらいだから、石川県も大したことはないです」
「僕は何もできません。出るだけです」
謙虚さも健在だった。

ぎふ清流国体最終日。成年+105キロ級。
スナッチは、ロンドン五輪代表の太田和臣選手に続く2位の記録。
ジャークも健闘し、石川県の団体7位入賞に大きく貢献した。
試合後、「できれば来年も、(国体に)出たいですね」と、朴訥と語る彼。

病みゆく身の苦しみ。
老いゆく身の悲しみ。
怪我と隣り合わせの生身の肉体を持つ危うさ。
時に折れそうな心。
それらと対峙しつつ、なおも人は、輝き続けることができるという確かな証し。

闘志をその優しさで包み込み、夢に向かって挑み続ける男。浅田浩伸。
彼の存在は、多くのリフターの希望の光である。

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浅田浩伸選手
カメラを向けると、「えっ、僕を撮るんですか?」と彼。
他に誰がいるんですか!?
いつも癒してくださる浅田さん♪
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