2014/02/06

リフター魂57 “元祖”美女リフター

2012年のロンドン。
三宅宏実選手が、日本女子ウエイトリフティング界に初の五輪メダルをもたらした。

振り返れば、1987年に世界選手権が始まり、2000年のシドニー五輪で正式種目に採用された女子ウエイトリフティング。
今の日本においても、競技人口は決して多いとは言えない種目である。
まして当時、さまざまな葛藤の中で、黙々とバーベルを持ち挙げていた、強くて美しい大和撫子たち。
「“元祖”美女リフター」
日本女子ウエイト界の礎を築いてくれた、当時の全ての女子リフターへの“尊称”として、管理人はこの言葉を用いる。

ここでは一方的な思い入れの中で、管理人が知る、3人の“元祖”美女リフターを、年齢順… 失礼^^; 五十音順に紹介したいと思う。


浅田(旧姓 長谷場)久美先生

日本女子ウエイト界の開拓者。
管理人はそう理解している。
アテネ五輪と北京五輪で、女子日本代表の指揮をとられた方である。

現役時代の国内外における活躍は、枚挙にいとまがない。
国内で敵無しだった久美先生にとって、まさに敵は自分自身。
それ故、非常に自分に厳しい方である。

出身地・岩手県釜石市のふるさと大使に名を連ねておられる久美先生。
3年前の東日本大震災は、釜石にも大きな爪痕を残した。
遠く石川県珠洲市より、復興に向けてたゆまず歩む故郷に思いを馳せる日々。

「私は、石川の人間になりました」と、感慨深げに語られた。
ご主人は、今もなお現役で国体などで活躍する浅田浩伸選手。
「彼は、いつも私の味方でした」と、久美先生。

「珠洲は何もないところなので、一つくらい自慢できるものを…」と、子供たちの指導に、力と心を注いでおられる。

自分に厳しい女性は、決して妥協を許さない。
能登半島から臨む日本海。
その彼方にある世界を、その瞳は見つめている。

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ご主人の浅田浩伸選手


川﨑(旧姓 斎藤)さと美先生

元リフターとは思えない、小柄で可愛い方である。
が、侮るなかれ。
かつて世界の舞台で活躍。
日本女子ウエイト界の歴史に、鮮やかにその名は刻まれている。

日本三景の一つ・天橋立の東。
栗田湾に面した海洋高校で、現在、ウエイトの指導に当たっておられる。
家族の協力のもと、お子様を置いての遠征にも、試合中は凛とされている。
「はい、行くよ!」「自信持って!」
プラットホーム上の教え子に、さと美先生の軽快な声が飛ぶ。

選手が力を発揮できず、不本意な結果に終わったときには、その表情に無念さが滲む。
「情けない試合をしてすみません」と、さと美先生。

世界を見てきた女性の理想は高い。
やがて教え子が、世界の舞台へと。

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日体大の大先輩・屋良博之先生と


平良(旧姓 仲嘉)真理先生

女子ウエイトリフティングが正式種目となったシドニー五輪で、堂々の7位入賞。

浅田久美先生と同じく、もとは砲丸投げの選手だった。
川﨑さと美先生は、日体大の先輩に当たる。
現在、沖縄工業高校で指導に当たっておられる真理先生。

あの三宅宏実選手の憧れの人でもある。
北京五輪で結果を出せず、傷心の三宅選手が向かった先が真理先生のもとだったという話は、関係者の間で知られている。
二人の間でどんな会話がなされたのか、それを知る必要はない。
三宅選手のロンドン五輪銀メダルが、雄弁に語ってくれているから。

2011年の第1回全国都道府県対抗女子ウエイトリフティング選手権で、再びバーベルを持たれた真理先生。
その姿はチームの士気を高め、記念すべき第1回大会は、沖縄県が制することとなった。
その年は、真理先生の教え子が初めて全国大会のメダルを掴んだ年だと、後に知る。

シドニーのプラットホームから、真理先生は何を見ていたのだろう。
あれから14年。
教え子が、五輪の舞台に立つ日を夢見て。

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小学校6年のときから指導する宮本昌典選手


選手から指導者へと立場は変わり、それぞれに人生を重ねた“元祖”美女リフター。
人として、女性として、彼女たちは強く、そして美しい。

敬愛する、久美先生、さと美先生、真理先生へ。
愛とまごころを込めて… by管理人
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