沖縄に、高校生リフターの受け皿が一つできた。
これまで全国大会で活躍した沖縄の選手たちの多くは、卒業後、本土の大学へと進んでいた。

高校生活も後半にさしかかり、知念光亮選手は進路について悩んでいた。
「遠くへ行ったら、自分はダメになる」
自らの性格を冷静に分析し、数多の大学からのラブコールにも、その心をときめかせることはなかった。

「光亮は出さない」
教え子たちが大学で伸び悩む姿を見てきた金城政博先生の決意も固かった。

思いが重なり、祈りが満ちた時、道は開けるものである。

それは、何気ない世間話から始まったのかもしれない。
知念選手の母は、ある日、わが子の悩みを旧友に打ち明けた。
「何か良い方法はないかしら?」

「そんな選手がいるのなら、沖縄で育てよう」
“その人”の動きは速かった。
すぐに沖縄国際大学へ働きかけ、同大学に重量挙部が新設されることとなった。

年が明け、スポーツ推薦で同大学に迎え入れられたのは、知念光亮、屋良一郎、仲西弘一の高校チャンピオンたちである。

卒業後、沖縄に残って練習を続けることなど、一年前には想像できなかった彼ら。
ただ強くなりたい。
その思いだけで、バーベルと向き合っていた。
無限の可能性を、賢明な沖縄は手放さなかった。

沖縄に生まれ、沖縄で育ち、そして沖縄でウエイトと出合った彼ら。
見守り続けてくれた故郷の全ての人・物・事への感謝をバーベルに託し、地元・沖縄から、彼らは世界を目指す。

合言葉は、「沖縄からオリンピックへ」

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どや顔の沖国トリオ
左から、仲西弘一選手、知念光亮選手、屋良一郎選手

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県大会で、200キロジャークを成功させる知念選手
村上英士朗選手も、練習で200キロを差している
高校記録の一覧に、最後に名前を残すのはどっち?


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いつの世も、熱いハートを持って立ち上がった男たちが時代を創ってきた。
沖縄とウエイトリフティングを結ぶ歴史においても、立ち上がった男たちがいることを知ってほしい。
「リフター魂5 ウエイトリフティング王国沖縄」の記事に書いた一文である。

沖縄から本土へ渡るのにパスポートが必要だった時代、「国体総合制覇」という目標を掲げて奮起した男たちがいた。
それから時は流れ、国体で14回の優勝を誇るウエイトリフティング王国となった今、そのさらなる発展のために、また一人、立ち上がった男がいる。

今回の記事中に登場した、知念選手の母の旧友。
沖国大重量挙部について、この方抜きには語れない。
この方にスポットを当てた記事の内容にしたかったのだが…

沖縄のリフターたちに新たな選択肢を備えてくださった方は、どこまでも陰の人だった。
今回の記事では個人名の表記を控え、その記述も最小限にとどめた。
そして管理人は感謝と敬意を込めて、ただ一度、“その人”と表記することにした。

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comment iconコメント ( 1 )

スッポンさん、ありがとうございます

<初めまして。私は、知念選手の母そしてその旧友をよく知るものです。確かに彼はどんな事でも、いとも簡単に持前の明るさと行動力で実現させる凄い男なのです。自分の苦労を表に出さず、いつも周りのために一生懸命です。(多分、本人は楽しんでいる)そんな彼を私は尊敬しています。>

ブログ拍手にいただいたコメント、こちらに転載させていただきました。
不都合があれば、お知らせくださいね。

沖国大重量挙部の新設の話がとんとん拍子に進み、あまりにも鮮やかだったので、私は、“その人”は魔法使いなのかと思いました。
決して魔法などではなく、その一生懸命さが扉を開けたのですね♪

名前: 管理人 [Edit] 2014-03-15 11:27

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