成年105キロ級


リフター魂76 和歌山国体①
「20世紀の記録が消える日」
105キロ級 白石宏明選手・持田龍之輔選手


この記事を書いて2年。
18年ぶりに、日本記録が動いた。

「吉本氏の記録、215キロを先に超えてくるのはどちらなのだろう。」
2年前、この記事をそう結んだ。
まずは、その答え合わせをしておこう。

正解は、持田選手である。
今年5月の全日本選手権で、彼がジャーク216キロを成功させた。
が、その直後、白石選手がそれを上回る217キロを挙げ、この時点で白石選手の名が残った。

さらに8月、持田選手が220キロを成功。
ジャークの現日本記録保持者は彼である。

今国体で、また動くのだろうかと試合の行方を見守った。
その期待を裏切ることなく、持田選手がトータルでも日本新記録を樹立した。

1999年から、世紀をまたいで105キロ級日本記録の欄に刻まれ続けた“吉本久也”という名前。
それが二つ消えた。

リフター魂70 記録の呻き

この記事にも書いたように、管理人は、彼の記録が破られる日を待望していた。
けれども実際に彼の名が二つ消えた時、一抹の寂しさを覚えたのも事実である。
それは、一つの時代が終焉を迎える虚無感のようなものだった。

日本人初の400キロリフターとなった吉本氏。
2大会連続で五輪出場。
最重量級での五輪出場も、彼が日本初。
多くの重量級リフターに希望を与えた。

ところが、2回目の出場となったシドニー五輪では、右足靭帯損傷のため途中棄権。
痛い足を引きずりながら、日本から駆けつけた応援団のもとに挨拶に行き、その後、病院へ向かったという。
シドニー五輪後、傷心の中で郷里へ戻った彼。
国際大会には区切りをつけたが、怪我から復帰後、国内ではやはり最も重いバーベルを挙げていた。

光と影を背負いながら時代を創った男の名が、18年の時を経て消えて行く。
その名が消えても、彼の功績が色褪せることはない。

スナッチの欄に、ただ一つ刻まれる“吉本久也”の名。
それを消して、新たな時代を創るのは誰なのだろう。


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持田くん、おめでとう\(^o^)/


“愛媛国体シリーズ” まだ続くよ♪
94キロ級、105キロ級と来れば、次は…

成年94キロ級


94キロ級のエントリーリストに彼の名があった。
85キロ級日本記録保持者の山本俊樹選手である。

すでに世界選手権の代表に選抜されていた彼。
減量を回避してのエントリーだったのか。
もちろん、彼はこの階級でも十分優勝を狙える力を持っている。
実際、94キロ級ジャークの日本記録は、今年の8月に彼が叩き出したものである。

管理人は、この階級の日本記録が非常に気になっている。
スナッチはわずかに85キロ級のそれを上回っているものの、ジャークとトータルは下回っている。
この現象へのもやもや感を、彼が解消してくれることを期待しつつ観戦していた。

94キロ級トータルの日本記録を有しているのは、今も現役で国体の表彰台をキープし続けている平岡勇輝選手である。
彼から「日本記録保持者」の肩書きを取り上げることは忍びないが、全てこの世は諸行無常。
記録は新陳代謝を繰り返しながら更新されていくべきである。

誤解がないように言っておくが、新陳代謝されるべきは記録であって、選手そのものではない。
「後進に道を譲る」という言葉があるが、スポーツの世界でそれは当てはまらない。
強い者が勝つ。
譲られなくとも、超えて行けば良いだけである。

管理人はサッカー(ナショナルチーム)ファンだが、全盛期の頃のキングカズ(三浦知良選手)があまり好きではなかった。
けれども今、精神と肉体を鼓舞しつつ、なおもユニフォームを着続ける彼を少し好きなってきている。

平岡選手のように長きに渡り活躍している選手の試技を観られることが、管理人の国体が好きな理由の一つでもある。

今大会では、平岡選手の日本記録は消えなかった。
団体戦において、優先すべきはより多く得点することである。
連覇がかかったチームのポイントゲッターの一人である山本選手は、きっちりとその仕事を果たし、兵庫を連覇へと導いた。

期待していたジャークとトータルの日本記録更新はなかったが、スナッチでそれが実現した。
日本新記録を樹立したのは、木下竜之選手である。
体重85.58キロ。
エントリーメンバーの中で最も体重の軽い彼が、最も重いバーベルを挙げた。

山本選手とは同郷で、高校時代から切磋琢磨してきた間柄。
学生時代、兵庫のために戦かってきた彼は、福井に拠点を移し、福井代表としてプラットホームに立った。

これまでスナッチの日本記録を持っていたのは、現在、福井県所属の吉岡祐司選手である。
その記録を破り、彼が日本新を打ち立てた瞬間、福井県の関係者が飛び上がって喜び、握手を交わしていた。
その光景を見たとき、彼は「チーム福井」の一員になったのだなと思った。

管理人は国体の記事を書くとき、「郷土愛」や「郷土の誇り」をいう言葉をしばしば用いてきた。
誰しも生まれ育ったふるさとがある。
そしてまた、第二のふるさとや第三のふるさとを持っている人もいるだろう。

人生の長い旅路の中で、一つのふるさととして来年の国体開催地である福井を選んだ彼。
一年後の福井しあわせ元気国体では、地元の大きな声援を受けながら、彼は福井のために戦うことだろう。


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試合後、取材を受ける木下選手
こっそり撮ろうと思っていたら、カメラ目線をくれたサービス精神旺盛な彼

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こちらは地元の大声援を浴びてジャークで2位に入った愛媛県代表の矢葺士選手


“愛媛国体シリーズ”は次回、成年105キロ級を取り上げる予定
(気が変わらなければ^^;)

チームおきなわ ~王国再建へ~


過去16度の総合優勝を誇るウエイトリフティング王国沖縄が苦しんだ。

全日本選手権王者の宮本昌典選手が、大会直前に腰を痛め欠場。
比嘉貴大選手に召集がかかったのは、試合の5日前だった。
しかも一つ下の階級、77キロ級での出場である。
体重はダウンさせつつ、モチベーションをアップ。
調整不足は否めない。

総合で上位に入ることは、チーム沖縄に課せられたミッションである。
もちろん、目指すところは優勝である。
国体のプラットホームを想い出作りの場にすることは、王国のメンバーには許されない。

9位以下なら失格も同じ。
失敗しても… 失敗しても…
得点圏内の8位のラインを見据えて大幅に上げられていく重量。
容赦ない重量アップにひたむきに挑み続ける彼の姿に心が痛んだ。
かつて完全優勝を果たした経験もある彼の今回の結果は、スナッチ、ジャーク共に記録なし。

その後、今大会に調子を合わせてきた新垣悠太選手(85キロ級)が上位に入ったものの、学生リフターの屋良一郎選手(94キロ級)と知念光亮選手(105キロ超級)は、国内外連戦による疲れや怪我の影響で、本来の力を発揮することが叶わなかった。
成年の試合が終わって、まさかの14位。

続く少年3選手が確実に得点し、女子選手の健闘もあり、最終的にチームを総合4位にまで押し上げた。
辛うじて、王国の面目を保ったと言えるかどうか…
ビミョーなところである。

思えば、パスポートを携えて国体に参戦していた復帰前。
将来、16度の総合優勝を果たすことを、誰が想像しただろうか。
熱いハートを持って立ち上がった男たちのパッションが、ウエイトリフティング王国沖縄を誕生させた。

リフター魂5 ウエイトリフティング王国沖縄
リフター魂39 壺屋焼に思う ~琉球王国からウエイトリフティング王国へ~

管理人が初めて国体観戦をした2012年岐阜国体からチーム沖縄は4連覇。
昨年は準優勝である。

走り続けてきた沖縄には、少しの休養が必要だったのかもしれない。
しばし休んで疲れを癒したなら…
再び目覚め、ウエイト王国再建へ!!


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試合後、沖縄のテレビ局の取材に真摯に対応する比嘉選手
最後まで、よく頑張ったね\(^o^)/


管理人にとって、2年ぶりの国体観戦♪
“愛媛国体シリーズ”は、しばらく続くよ(^_-)-☆

「星になった君へ」


あれから…
3度目の夏がやって来た。


あまりにも突然の別れだった。
夢なのか…
現実なのか…
心の整理もつかないままに、この記事を書いた。

リフター魂73 星になった君へ


彼と初めて会ったのは、2012年の岐阜国体。
その前から彼の名前は知っていた。
各試合の結果表に、いつもその名は上位に記載されていたから。

第一印象は、少年漫画から抜け出してきたような軽やかさ。
彼を護衛するかのように、大きな選手たちがその周りを取り囲んでいた。

小柄な彼のどこに、あんな重いバーベルを持ち挙げるパワーが潜んでいたのだろう。

時に日の丸を背負い、
時に母校の誉れのために、
また時に郷土愛に燃えて、
彼はバーベルを挙げた。

高校3冠。
大学時代は4年連続でインカレのプラットに立ち、2度チームを優勝へ導いた。
高校時代、大学時代、また社会人としても国体に出場し、故郷・沖縄の総合優勝に貢献してきた彼。

リフター魂41 チーム沖縄

過去に書いたもので、彼の名前が出てくるのはこの記事だけである。
それでも2年前、多くの人が彼の名前を辿ってこのブログを訪ねてきた。
あのとき訪問してくれた人たちは、ここに彼の面影を見出すことができたのだろうか。

その年の秋、チーム沖縄は国体4連覇を遂げた。
プラットホームを見つめ、「ここにいたのにな~」と、呟いた姉。
主語はなかったが、誰のことを言っているのかはすぐにわかった。
管理人も、同じことを考えていたから。

人間の事情などは構わずに、淡々と時は流れ、季節は巡る。

3度目の夏。
記憶の頁を開きながら目線を上げれば、沖縄の空にミルキーウェイ。
無数の星たちが寡黙に舞う。

2年経った今でも…
やはり… 「さよなら」は言わない。

管理人の人生の途上に軽やかに現れ、何も告げずに遥かな空へと駆け上って行った彼。


思いを共有させてくれて、ありがとう。
忘れないよ、君のこと…

―東門勇将くん―



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もう一度会いたかったな~
この笑顔に
(岐阜国体にて)

サッカー日本代表で言うなら、本田圭祐。
左大腿部側面の“ゼッケン4”が眩しかった。

日本で開催中の世界ジュニア選手権69キロ級で銀メダルを獲得した宮本昌典選手。
地元の期待を一身に背負い、“金”を目指してプラットホームに上がった彼。
スナッチでトップに立ったが、ジャークで逆転を許し、1キロ差で“銀”という結果だった。

ホームで世界大会を戦うことは、
喜び? それとも重圧?
あるいはその両方?

表彰台に立つ彼の頬に光っていたものは、
汗? それとも涙?
汗なら… すでに引いていた頃だろう。

とめどなく流れるその涙は、
嬉し涙? それとも悔し涙?

嬉し涙と悔し涙では、その味が違うという。
自律神経の影響で、悔し涙は塩分濃度が高まるために塩辛いようである。

拭っても拭っても頬を伝う涙。
その味は、海水のごとく塩辛かったことだろう。

駆け引きに敗れた?
それも含めてウエイトリフティングである。

かつてインターハイや高校選抜を観戦する機会が多かった頃、采配に苦慮する指導者たちの姿を目の当たりにした。

選手が強くなるにつれ、指導者は悩む。
記録に挑ませたい…
実績を積み上げてきた選手に敬意を払いつつも、勝負に負けては元も子もないと考える指導者たち。
そんな中で、どこに着地点を見出すか…
選手と指導者間の信頼関係の重要さを認識したものである。

と言っても、高校ウエイトは部活動である。
もっと上のステージになれば、様々な思いが重なり、複雑に絡み合うこともあるだろう。

今回の試合でどのように重量が決められていったのかはわからないが、作戦ミスを指摘しつつも三宅義行WL協会会長は、このように語ったと記事が伝えている。
「コーチ任せではなく、駆け引きも自分で勉強していかなければ…」

宮本選手が小学生だった頃から、彼を知る三宅氏。
その言葉には、20歳のホープの今後への期待が込められている。

もう少しで届きそうだった金メダル。
それを手にするために、あと何が必要だったのか。

心優しさはそのままに。
素直さもそのままに。
その“何か”を見つけてほしい。

オリンピックなどで、銀メダルの選手の表情が曇っている光景をしばしば見る。
そんな時、管理人の心は痛む。
メダルに対しても、頑張った自分に対しても、あまりに失礼ではないだろうか。

限られた人しか掴むことができない「世界の銀」に胸を張ってほしい。

次に彼が流す涙が、淡水のごとく薄味であることを願いつつ…


‥∵‥☆‥∵‥∵‥☆‥∵‥∵‥

<参照>

リフター魂87 宮本昌典選手(東京国際大学)

この記事を書いた約1ヶ月後の全日本ジュニアで、彼は日本記録を樹立した。

試合会場でそれを見届けた「ウエイトリフティング大好き人間」宮田氏が、ご自身のブログで紹介してくださっている。

日本新記録!クリーン&ジャーク177Kg!

添えられているコメントが興味深かったので、勝手ながらここに引用させていただく。

~これにより、宮本選手は中学、高校、ジュニア、大学、そして一般と、すべての年齢区分での記録保持者となる歴史的快挙です!(あとは15年後にマスターズ記録を樹立し、各々が更新されなければ完全無欠です(笑))~

マスターズ記録とは^^;

宮田さん…
あなたのイマジネーションは、ワタクシのそれをはるかに超えています(^_-)-☆


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宣言通り、この手で日本記録を掴んだ。
さあ、次はオリンピック!!